荒木大輔の妻(嫁)や子供!若い頃の画像がイケメンで現在はどうなの?

野球ピッチャー画像

荒木大輔さんという方をご存じでしょうか。

甲子園で1年生ながら早稲田実業高校の投手として出場して準決勝まで無失点という記録を保持します。

高校卒業後にヤクルトスワローズに入団してチーム日本一にも貢献しました。

その後1996年に現役を引退し、現在は日本ハムファイターズの2軍監督をしています。

高校時代の荒木さんはイケメンで女性からの人気があったようです。

彼の野球人生だけでなく、妻や子供はいるのでしょうか?荒木大輔の妻(嫁)や子供!若い頃の画像がイケメンで現在はどうなの?で調査しています。

さっそく見ていきましょう!

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荒木大輔のwikiプロフィール

  • 名前:荒木大輔
  • よみ:あらきだいすけ
  • 生年月日:1964年5月6日
  • 年齢:現在55歳
  • 出身地:東京都調布市

 

工務店の末っ子として生まれました。2人の兄と同じ少年野球団に入団したそうです。

荒木さんが野球界で活躍されたのは2人のお兄さんの存在が大きかったのかもしれませんね。

荒木大輔の出身高校や中学はどこ?

80年代前半に甲子園を熱狂させたヒーローは小学校6年生の時エースとして野球大会で優勝を果たしました。

その後、調布市立神代中学校に入学して地元の調布リトルに入団します。

卒業後は早稲田実業高校に入学します。

1年生のときに迎えた第62回甲子園、東東京大会では控えの三塁手としてベンチ入りを果たします。

しかし、当時の主力のケガによって、荒木さんは急遽マウンドに立つことになります。

突然の先発に抜擢されたときの荒木さんですが、これが大輔フィーバーの始まりです。

準決勝では優勝候補の帝京高校を三安打完封でチームを決勝へと導くと、甲子園本戦を賭けた試合で二松学舎を逆転で破り早稲田実業は2年ぶりに甲子園への切符を手にしました。

甲子園本大会初戦では地方予選で最高打率を記録した大阪北陽を1安打に抑えて勝利に貢献しました。

その後、5試合で1点も取られることなくチームは決勝に進みます。

しかし、最後の試合で早稲田実業は横浜高校に惜しくも破れ優勝することはできませんでした。

当時16歳だった荒木さんは背番号11を付けエースとして活躍しました。

宿舎には大勢のファンが駆け付け黄色い声援を送っていたそうです。

また、生まれた子どもに大輔と名付ける親が増える現象も引き起こしました。

西武ライオンズで活躍した松坂大輔さんの名前も荒木さんからとられた名前です。

子どもの名前ランキングで大輔は1980年代前半にトップの座に君臨していました。

大輔という名前を付ける親が続出するくらい、当時の荒木さんは人気があったみたいですね。

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荒木大輔の若い頃の画像がイケメン!

こちらの写真が高校時代の荒木さんの写真です。2枚目ですね。女性からもてたことが納得できます。

荒木大輔の経歴や成績

甲子園で活躍した荒木さんに対してプロ球団が放っておくはずがありません。

1982年のドラフト会議ではヤクルトスワローズと読売ジャイアンツが1位指名して、抽選の結果交渉権を得たヤクルトスワローズに入団しました。

翌年の5月に初先発して勝利を飾りました。

しかし、その後成績は伸びず3年目には2軍へと降格してしまいます。

荒木さんにとって少年時代から続けてきた野球人生の中で初めての挫折です。

しかし、ここで彼は決して腐りませんでした。

荒木さんはその後も練習に励み後半戦には1軍に復帰を果たすと初完封を達成するなど6勝を記録します。

1986年からは2年連続で開幕戦投手に抜擢して1987年には2桁勝利をマークしました。

しかし、翌年に右ひじの痛みが原因でチームを離れます。

その後は手術とリハビリを繰り返す生活を強いられましたが、1992年に1541日ぶりにマウンドに復帰します。

3位に低迷していたヤクルトは、荒木さんの復帰によって勢いを取り戻し14年ぶりの優勝を果たすと、翌年には西武ライオンズとの日本シリーズを制して日本一を達成します。

1996年に移籍した横浜ベイスターズで現役を引退しました。

幾度のケガを乗り越えた荒木さんの精神には敬意を示したいです。日本一になった瞬間は感無量だったのではないでしょうか。

荒木大輔の現在は?

現役を引退後、西武ライオンズやヤクルトスワローズのコーチを務めました。

そして、2018年に体調不良のため退任した田中幸雄氏の後を継いで北海道日本ハムファイターズの2軍監督に就任しました。

2019年からは投手コーチを兼任しています。

現在の日本ハムファイターズの1軍監督は栗山英樹さんですが、今シーズン限りで辞任するといううわさが流れており、後任候補には荒木さんの名前も挙がっています。

しかし、栗山英樹さんで続投となりましたね。

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荒木大輔の年俸(年収)はいくら?

ドラフト1位で指名されたときの契約金は6600万円だったそうです。

その後1987年に1千万円の大台を突破しました。

自身の最高額は日本一になった翌年の1994年には4500万円です。

さすが、スポーツ選手ですね。子どもが憧れる職業であることが理解できます。

荒木大輔の評判

高校時代から野球選手として活躍してきた荒木さんですが、彼に対する評判はどのようなものなのでしょうか?

荒木さんと小学校の頃から付き合いがあり、現在は埼玉県の栄北高校で野球指導に当たる小山寛陽さんは「荒木は誰かにくっついたり、誰かの陰に隠れたりするおとなしいやつでしたよ」と当時を振り返ります。

しかし、小川さんは荒木さんの静かな性格が幸いしたと語ります。

「小学校と中学校で日本一になってもおとなしい性格だったので横道に逸れることはなかったですね」。

もともと、野球以外で注目されて目立つことがあまり好きではなかったようです。

当時は荒木さんのプライベートを守ろうと、下校時には何人かの同級生が一緒に付いてあげるなどの配慮をしてくれたそうです。

そんな同級生たちに対して荒木さんは後のインタビューで「甘えさせてもらっていました」と当時を振り返っていました。

実力があっても、決して天狗になることがない荒木さんに対してチームメイトは信頼感を抱いたのではないでしょうか。

常に謙虚な姿勢を貫いたことがプロへと進む要素になったと思います。

荒木大輔の妻(嫁)

荒木大輔さんの妻は元モデルで女優としても活躍した相田寿美緒さんです。

彼女は、1983年にカネボウの化粧品CMで一躍有名になりました。

そのCMがこちらです。


男性ならば一瞬画面にくぎ付けになったのではないでしょうか。

今の時代ならば公共の電波でここまでの露出は許されないかもしれませんね。

その後相田さんは、映画やドラマなどで活躍しました。

結婚後に芸能界から引退しました。

今の20~30代の方々はおそらく彼女を知らないのではないかと思います。

1964年2月4日生まれなので、相田さんは荒木さんと同い年で現在54歳です。

どのような女性になっているのでしょうか。

荒木さんはヤクルトスワローズに入団後に度重なるけがとリハビリを強いられます。

そんなときに相田さんと出会いました。

荒木さんはインタビューの際に「現役時代には彼女に助けられました。僕が復帰できた要因の1つです。今の僕があるのも彼女のおかげです。」と語っていました。

妻である相田さんの支えが大きかったみたいですね。

荒木大輔の子供

荒木さんには1人娘がいるようですが、詳しいことは不明です。

おそらく美男美女から生まれたのならば、きれいな方なのではないでしょうか。顔がわからないのが残念です。

まとめ

兄とともに小学校から野球を始める。

甲子園では1年生の時に投手としてチームを決勝へと導く。

ヤクルトスワローズではケガを乗り越え日本一を経験。

自身最高の年俸は日本一翌年の4500万円。

2018年に日本ハムファイターズの2軍監督に就任し、翌年からは投手コーチを兼務。

性格は控えめ。

妻は元女優の相田寿美緒。

1人娘がいる?

という結果になりました。

甲子園のエースとして活躍した元プロ野球選手の荒木さんについて色々と書いてきました。

現在2軍監督を務める荒木さんが1軍監督として日本一になる日は来るのでしょうか。

これからの荒木さんに注目したいです。

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