岩井隆監督(花咲徳栄)の家族や妻(嫁)!経歴や金本知憲との関係は?

阪神甲子園球場の画像

岩井隆監督は2017年夏の甲子園で優勝を飾った花咲徳栄(はなさきとくはる)の監督です。

そんな岩井隆監督の気になる家族や経歴、阪神タイガース元監督の金本知憲さんとの関係について調べてみました。

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岩井隆監督の家族

岩井隆監督は、インタビューにおいても自身の家庭については深く語っていません。

 

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花咲徳栄高校硬式野球部・岩井監督が訪問くださいました。 岩井監督は同級生、野球部を中心とした44年会で知り合い、かれこれ10年近くの付き合いになります。岩井監督は…一言で言って、すごい男です。学生の成長のため、野球以外の事柄にものすごい好奇心を持って、新しいことに怯まず挑戦を続けています。 「ジャパンコーチズアソシエーション」という指導者の団体にいち早く参加され、特に帝京大学ラグビー部の岩出監督から多くのヒントを得ているようです。もともとの発想や思考が、岩出監督の実践している「自ら考えてプレイする」というスタイルだったと思いますが、大学生でも難しいアプローチを高校野球で果敢に挑戦し、去年は埼玉県勢初の夏の甲子園大会を制覇しました。 今回も色々な話をしましたが、最近監督がつくづくいうことに「今の高校野球は打たないと勝てない」というのがあります。実際、練習もバッティング練習が所々で行われて、練習の効率化による打撃力の向上に大いに工夫をしているそうです。日本ハムにドラフト2位指名された野村選手も「花咲徳栄はとにかくたくさん打てます。夜の自主練にも岩井先生が時々おつきあいしてくれるので、3年間で見違えるように上手くなりました」と語っていました。 日本では野球、でも本場はベースボールです。ベースボールでは、お父さんと子供がキャッチボールをする前に、まずはバッティングをするそうです。アメリカ人によるとアスリートは優先的に打者になるのがベースボールでもあるそうです。「打つことが楽しい」というのがベースボールの起源でもあるので、当然のことかとも思いました。野村選手も3年間、大いに野球を楽しめたそうです。 そんな話をしながら、今年の夏の甲子園、最後の打者のツースリーの場面での采配の話もしました。内容は秘密ですが、その場面を見ていたソフトバンク松田選手からもらったアドバイスを伝達させてもらいました!! 野球以外にも、ジャパンコーチズアソシエーションに参加する他の競技の指導者の方の話、高校内における選手の多種目への参加の話、地元の子供達への貢献の話、などなど頭の中にはアイデアがいっぱいでした。 みんな野球が大好き、スポーツが大好きなんだなー と心がほっこりしました。 岩井監督、実績をあげるごと、歳を重ねるごとに、どんどん表情が柔らかくなっています。昔とまったく逆、でもそんな雰囲気が現代のリーダーなんだと思います。 可愛いクリスマスツリーを手土産に持ってきてくれる愛嬌ある野球部の監督… 時代は変わっているなあ、とつくづく感じました。 #花咲徳栄 #岩井隆 #44年会 #携帯はガラケーです

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そのため情報は少ないです。

とあるインタビューでは、「普段は学校の寮で生活をし、週末に所沢の自宅に帰る」と答えています。

ご家族はいるようですが、次はそこをもう少し詳しく調べてみました。

岩井隆監督の妻(嫁)や子供はいる?

岩井隆監督の元教え子のブログで、岩井隆監督が結婚したありました。

ご結婚、されているようです。

インタビューでは「週末に自宅に帰ると、家族で食事へ出掛けるなどして、出来るだけ一緒に過ごすようにしている」という答えています。

普段家を空けるため、しっかり家族サービスされているんですね。大変良い心がけですw

お子さんについての情報もありませんが、住んでいる所沢について語る際に…

「交通の便が良く、いろいろな大学に通いやすい。子どもにとって選択肢が多い、恵まれた場所です」

と答えているところをみると、いらっしゃるのではないでしょうか。一部では2男1女と噂されていますが、はっきりしていません。

家を空けがちな旦那さんに代わって、しっかりと家庭を守っている奥様に、厳しい監督も頭が上がらないのではないでしょうかね。

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岩井隆監督のwikiプロフィール

  • 氏名:岩井 隆(いわい たかし)
  • 生年月日:1970年1月29日
  • 出身地:埼玉県川口市
  • 出身高校:桐光学園高等学校
  • 出身大学:東北福祉大学

桐光学園は、野球の激戦区神奈川の強豪校です。偏差値は69とかなり高めです。

高校時代は練習に勉強と、両立は大変だったでしょうね。

岩井隆監督の経歴や成績

岩井隆監督は中学3年時に、すでに人生の師と出会っています。

当時、小柄な体格に悩んでいた岩井隆監督は桐光学園の野球練習の見学へ行き、稲垣人司監督と出会います。

稲垣監督は「大きくても小さくてもホームベースを踏めば同じ1点。体格は関係ない」と言ったそうです。

岩井隆監督は「何があってもこの人に一生ついていこう」と決めたんだそうです。

東北福祉大学を卒業後、花咲徳栄で監督を務めて稲垣監督の元で9年コーチを努めます。

2000年に稲垣監督が練習試合中に急死され、翌年監督に就任します。

少年の頃に誓った「一生ついていく」という決意を果たした事になります…。

2001年に夏の甲子園出場、2013年に春の選抜初出場を果たしていますが、その後7年甲子園出場を果たせず不遇の時代を迎えます。

しかし、野球指導改革を行い2019年8月現在では春の選抜4回、夏の選手権7回の出場を成し遂げています。

激戦区埼玉県ですごい戦歴です。

そして2017年夏には、全国優勝を果たしています!

素晴らしい名将ですね!

岩井隆監督と金本知憲との関係は?

金本知憲(かねもと ともあき)は、広島カープと阪神タイガースで活躍した元プロ野球選手です。

岩井隆監督と、金本知憲さんは東北福祉大学の同期でした。全日本大学選手権で初勝利を飾った世代です。

東北福祉大学といえば、東北の野球の名門ですね。

お二人の世代は黄金世代と言われ、2年上には大魔神こと佐々木主浩選手、同期に横浜とメジャーで活躍した斎藤隆投手もいます。

すごいメンバーです!レジェンドばかりですねw

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岩井隆監督の指導方針は?

監督に就任ししばらくすると7年間甲子園切符を逃がします。

そこでチームの強化から、選手一人一人の自立を促す指導をするようになりました。

主将の他に、2年生から主将を支える学生コーチを2名選びました。

監督の指導がチーム全体に行き渡っているかなど、選手ながらチーム全体を把握しサポートを行います。

2年生なので、時には3年生へ意見することもあるんでしょうね。大変そうです…。しかし、強いチームほど学年の隔たりは低い気がします。

また、岩井隆監督は「遺伝子と生い立ちは変えられない」と語っています。野球に出る性格やタイプは今までですでに影響を受けている、ということです。

それを超える位の指導が出来ないといけないと考えたのが「野球以外の時間の過ごし方」です。

人の本性が出る、寮生活や授業態度に目を向け、時には授業態度をチェックしに行ったんだとか。

もはや道徳の域ですw

しかし、これも選手の自立心を自覚する指導の一貫だったんですね。

野球に触れていない間も地に足を付けて生活していれば、おのずと野球に反映されるということなんでしょう。

まとめ

  • 岩井隆監督は家族の事をあまり語らないが、妻と子供がいる。
  • 元阪神タイガース監督の金本知憲と

 

2019年夏の、優勝候補として順調に勝ち上がっている花咲徳栄。

胴上げされる岩井隆監督が見たいですね〜!

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