高津臣吾の嫁(妻)や息子と娘などの家族!今現在や現役時代の成績を調査!

野球ピッチャー画像

セ・リーグのプロ野球球団ヤクルトスワローズは、今季最下位という成績不振に陥り、監督とヘッドコーチが同時に職を辞することになってしまいました。

その後任の最有力と言われているのが、かつてメジャーリーグにも挑戦した高津臣吾さんです。

今回はそんな高津臣吾さんのお嫁さん(妻)や息子さん、娘さんなどの家族のこと、さらに今現在の活動や現役時代の成績なども詳しく調べてみました!

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高津臣吾の嫁(妻)

第一線を行くスポーツ選手だった高津臣吾さん、奥さんはどんな人なんでしょうか?

奥さんの名前は高津真紀さん

調べてみると、ブログを開設されていました。

顔写真も掲載されています。

元客室乗務員、いわゆるスチュワーデス、キャビンアテンダントだったそうです。

奥さんの出身地は大阪です。

高校生の時まで大阪に住んでいて、交換留学で1年間、イリノイ州に行ったのをきっかけに、関西外国語大学のアメリカ校に通います。

その後帰国したタイミングで、あの有名なJAL(日本航空株式会社)の募集があったので挑戦したところ、見事採用されて客室乗務員になります。

国際線の乗務員になり、JALが飛んでいたほとんどの主要都市にはお仕事で行かれたそうです。

客室乗務員になって世界を飛び回るなんて、まさに女性の憧れですね。

そんな華々しい経歴をお持ちの高津真紀さん、高津臣吾さんとの出会いは古田敦也さんの結婚披露宴の後の飲み会だったそうです。

共通のお知り合いが「古田さんの結婚披露宴に呼ばれているんだけど、終わったら何人かのお友達と飲みに行かない?」と誘われ、そこには高津臣吾さんも来ていました。

当時、野球に詳しくなかった高津真紀さんは高津臣吾さんのことを知らなかったそうです。

結婚式に出ていたチームメイトだろうなあ、という印象しかなかったと。

飲み会が終わった後、たまたま店の外に出たタイミングが一緒だったので、その後もう少し飲もうかということになり、お二人で飲みに行き、電話番号を交換したのが始まりだったそうです。

お互いの第一印象については、「多分、彼も私もお互いタイプじゃなかったと(笑)」とインタビューにて答えています。

最初は時々やり取りするお友達で、お互いお仕事が忙しくてあまり頻繁に会ってはいなかったそうです。

高津臣吾さんのまめなところに惹かれたそうで、今でも変わらずまめなんだとか。

プロ野球選手になって美人な元客室乗務員の奥さんがいるなんて、羨ましい限りですね。

奥さんの高津真紀さん、アメーバブログにて日常を綴っていますので興味のある方はぜひ見てみてくださいね。

高津臣吾の息子や娘

高津臣吾さん、お子さんは何人いらっしゃるんでしょうか?

調べたところ、息子さんが二人いるみたいですね。

長男の大嗣(だいし)さんは、野球をしているそうで、新潟明訓高校を卒業したあと、武蔵大学に進学して硬式野球部で活躍しています。

 

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息子様もイケメン😍😍😍😍 #高津臣吾 #高津2軍監督 #高津大嗣 #新潟明訓

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お父さんが有名なプロ野球選手だったというだけでなく、整った容姿にも注目が集まっているようです。

高津臣吾さんと同じピッチャーで、武器のシンカーもお父さん譲り。

高津臣吾さんが投げている映像をお手本にしてフォームなどを学んだこともあったそうです。

大学を卒業した後プロ入りするのでは、と話題になっている大嗣さん、今後の活躍に注目ですね。

次男も野球をやっているとのことですが、長男の情報しか出てきませんでした。

長男の3歳下みたいなので、もう少ししたら野球界の話題に入ってくるのかもしれませんね。

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高津臣吾の家族

高津臣吾さんの家族構成は先ほど触れた奥さんの高津真紀さん、長男の高津大嗣さん、次男の4人家族です。

高津臣吾さんは元々平和主義で、家族で言い合いの喧嘩にはならないそうです。

お子さんができてから、意見の食い違いなども多くなったそうですが、高津臣吾さんが譲ことの方が多く、それで家庭の平和が保たれているとご本人が言っているくらいなんだとか。

家族で旅行に行くことが多いのはハワイで、なんと、元チームメイトで仲の良い古田敦也さんも家族旅行に同行してくれた時があるそうです。

高津臣吾さんの叔母さんが広島市内でフグ料理店を経営していた関係で、叔母に頼み込んで元阪神タイガースで投手をしていた江夏豊さんに会う機会を設けてもらったそうです。

ご家族のことを書いている時でも、野球から話が逸れることがないですね。

野球一筋なのがわかります。

高津臣吾の現在は?

日本の球団だけではなく、メジャーリーグにも挑戦した高津臣吾さん、現在は古巣であるヤクルトスワローズの2軍監督をされています。

2012年に現役を引退してからは『ショウアップナイター』、『J SPORTS』などの野球番組で解説者を務めた後、2014年にヤクルトスワローズの1軍投手コーチとして古巣に帰ってきました。

コーチ就任1年で救援防御率リーグ1位を記録し、リーグ優勝に貢献するなど立派な成績を残します。

コーチを経た後2017年には2軍監督になり、現在に至ります。

2軍監督を務めてからも高津臣吾さんの株は劇的に上がっています。

それまで2年連続最下位だった2軍の成績を、3位に押し上げることに成功。

選手の能力だけではなく、人を育てる能力にも長けていたのですね。

本当にできる人は教えるのもうまいって言いますもんね!

現役を引退した後でも古巣に貢献できるのは、ご本人にとっても嬉しいでしょうね。

2軍監督としての株の急騰により、今後の活躍も注目されています。

高津臣吾の年俸はどれぐらい?

現役の選手だったころは、ニューヨーク・メッツ時代の約2億5000万円が最高年棒だった高津臣吾さん。

現在の2軍監督の立場では、年棒はどれぐらいなのでしょうか?

2019年の高津臣吾さんの年棒は、推定2300万円であることが分かりました。

こちらにプラス出来高払いもあるということなので、もう少しあるかもしれません。

普通のサラリーマンよりはずっと高い年棒ですが、現役の頃と比べてしまうとだいぶ下がってしまうようですね・・。

しかも、2軍監督と言っても球団によってだいぶ差があるようで、阪神や巨人の2軍監督にもなると4000万円くらいまで上がるそうです。

ちなみに野球解説者だったころは、人にもよりますが1試合5万円~10万円と言われています。

解説の仕事が月に10本あったとして、高くて月100万円。

野球は3月頃~9月までというシーズンがありますから、1年じゅうできる仕事ではないですよね。

2軍監督になった現在の方が、解説者だったころに比べて高くなったと見て間違いなさそうです。

高津臣吾のwikiプロフィール

ここで、高津臣吾さんの基本的なプロフィールを見ていきましょう。

  • 名前:高津臣吾(たかつ しんご)
  • 年齢:50歳(2019年9月現在)
  • 生年月日:1968年11月25日
  • 出身地:広島県広島市
  • 身長:180cm
  • 体重:75kg

 

身長高いですね!

バスケットボールやバレーボールの選手は背が高いことがとても有利に働きますが、野球選手も背が高い方が何かと有利なんだそうです。

特にピッチャーは、背が高いとホームベースまでの距離を若干短くすることができ、打者は打ちにくいと感じるみたいです。

さらにオーバースローの投手だと投げるボールに角度がつくので、より打者がボールを捕らえにくくなり、打たれにくさに繋がるんだとか。

体格が良いとなれば、全身の筋肉量も多くなり、必然的に有利に働きます。

努力で身につけた技術に加えて、体格の良さも野球選手に向いていたのですね。

高津臣吾の出身高校や大学はどこ?

プロ野球選手になるには、学生の時からの努力が不可欠ですよね。

高津臣吾さんが高校時代を過ごしたのは、広島県の自宅から近かった広島工業高校です。

3年生の時に春夏連続で甲子園に出場し、とても思い出に残った・・かと思いきや、インタビューでご本人は「つらかった練習の日々の方がより鮮明な思い出」になったそうです。

高津臣吾さんが在籍していたころに広島工業高校は強くなり始め、部員も100人ほどいる大所帯でした。

当時、同学年でずば抜けた存在だった上田俊治さんを見て、何か特徴が欲しいという理由からアンダースローにフォームを変えたそうです。

しかし、高津臣吾さんが甲子園のマウンドに上がることはなく、常に他にエースと呼ばれる人がいて、輝かしい学生時代、とは言えなかったようです。

その上田選手が盲腸になったことで、それまでずっと2番手止まりだった高津臣吾さんに出番が回ってきます。

高校卒業後は、亜細亜大学に進学します。

大学時代も主に控え投手だったそうで、それでも諦めなかったことが今に繋がっているということです。

2番手投手としてどうしたらいいのかを悩みぬいた学生時代だったわけですね。

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高津臣吾の経歴や成績

高津臣吾さんの野球選手としての経歴は、野球を始めた小学3年生に遡ります。

地元の軟式野球チーム「段原レッドイーグルス」に入団し、中学校はあの張本勲さんを輩出した広島市立段原中学校に進みますが、当時の野球部は活動が盛んではありませんでした。

高校に入学してから、高津臣吾さんの野球生活は本格的に始まります。

高校、大学とエースになることはなく、控え投手として練習する日々が続きます。

大学卒業後は広島東洋カープを希望していたのですが、カープ側から「横手投げ」はいらないと言われてしまいます。

大学の同期である元駐日ドラゴンズの小池秀郎さんを視察に来ていたヤクルトスワローズのスカウト陣が高津臣吾さんの下手投げに着目します。

そして1990年度のドラフト会議にて、ヤクルトスワローズから3位指名され、契約金5500万円で入団します。

入団直後は先発投手として期待されるも、特に目立った特徴のない投手だったそうです。

高津臣吾さんの武器であるシンカーを、長い年月をかけて熟成させ、頭角を現します。

シンカーとは、スクリューボールとも呼ばれている球種で、投手の利き腕方向に曲がりながら落ちていく球種のことを指します。

入団して3年目の1993年には抑え投手として活躍し、当時の球団記録を塗り替える20セーブを挙げてヤクルトのリーグ優勝と日本一に貢献します。

翌年の1994年には最優秀救援投手(最多セーブ投手)という個人タイトルを獲得します。

さらに同年の日本シリーズでは3セーブを挙げて胴上げ投手にまで成長します。

しかしその後成績が低迷、1998年には抑え投手としての座を失います。

ですが翌年には再び抑え投手に任命され、高津臣吾さんもその期待に応えるように自身のセーブ記録を更新する30セーブを挙げます。

2001年には自己最高の37セーブを挙げ、チームのリーグ優勝に大きく貢献します。

その後2003年にメジャーリーグのシカゴ・ホワイトソックスと契約を結び、渡米。

クローザーを務めますが、2005年に不調が続き、解雇されてしまいます。

その後ニューヨーク・メッツと契約しますが、FA(フリーエージェント)となり、間もなく退団します。

2006年に親しい古田敦也さんがヤクルトの監督に就任したこともあり、ヤクルトに復帰します。

その後、韓国、台湾の球団を経て、新潟アルビレックスへ入団し、2012年には選手権監督となります。

しかしその年の8月、今年限りでの現役引退を発表し、選手としての活動22年にピリオドを打ちました。

引退後は試合での野球解説を任されたり、スポーツ番組で解説する機会も増えたようです。

2014年には1軍投手コーチとしてヤクルトスワローズに復帰し、2017年からは2軍監督に就任し、現在に至ります。

本当に野球がなくては語れないくらい、野球と共に歩んできた半生なのだなと、調査して感じました。

調子が上がらなくてもすぐに諦めないことが大事なのですね。

高津臣吾の本について

高津臣吾さん、野球の活動だけではなく、自身で書かれた本も出版されています。

書籍は全部で3冊。

一番初めは2004年に自身が常に控え投手だったことから書いた『ナンバー2の男』。

ナンバー2の男/高津臣吾(著者)

広島工業高校でチームメイトとなった上田俊治は広島県で名の知れたエースとなり、高津臣吾さんは「ぶっちぎりの2番手」だったことを綴ったのだそうです。

チームの戦力にどうしたらなれるか考えたときにアンダースローへの転向を決め、生き残るにはこれしかないと常にエースが立ちはだかる現実を書いた、自己啓発本ですね。

目の前にあるのが厳しい現実だったとしても決して諦めないことで道は開けてくる、と呼んだ人を勇気づけてくれます。

著書の2つ目は、2012年に書いた『高津臣吾 必殺シンカー 変幻自在の投球術』。

高津臣吾必殺シンカー変幻自在の投球術/高津臣吾

こちらは精神論というよりは、本格的な野球の技術について語った本です。

必殺級の使い手が追求し続けた変化球の奥深さや、緩急と制球力のピッチングの極意を書いた、ピッチャーのポジションにいる人に役立つ本になっています。

3冊目は、昨年2018年に書いた『2軍監督の仕事 育てるためなら負けてもいい』。

2軍の監督を任されるようになってから書いた、指導する立場で感じたことを綴っています。

選手が気分よくプレーできるかどうか、その環境を整えることを忘れないこと、それが2軍の監督をやるうえで常に心がけていることだそうです。

特に3冊目『2軍監督の仕事 育てるためなら負けてもいい』は売れ行きが好調だそうで、初版1万部を刷り、発売開始後すぐに増刷がかかったそうです。

近年は本の売れ行きがあまり良くありませんから、初版で1万部というのはかなり多いですね。

2万部程度売れたら大ヒットと言われるのが昨今の目安ですので、かなり売れた方だと思います。

光文社から出版されているのですが、光文社の過去の例と比べても、かなり早い増刷だったみたいです。

発売記念トークイベントの一般席はすぐに満席になったそうなので、すごく人気があるのですね!

引退した後も指導者の能力に長けていた高津臣吾さん、注目している人はかなり多いみたいです。

まとめ

今回は元プロ野球選手の高津臣吾さんについて調査してきました。

まとめるとこんな感じです!

  • 奥さんは元客室乗務員で、古田敦也さんの結婚披露宴後の飲み会がきっかけで出会った
  • お子さんは息子さんが二人、長男の大嗣(だいし)さんは大学野球界で注目されている家族構成は奥さん、2人の息子さんと4人家族
  • 出身は広島県、身長は投手向きの180cmという高身長
  • 高校は広島工業高校、大学は亜細亜大学に進学する
  • ヤクルトスワローズでの最多セーブ投手を経て、メジャーリーグへ挑戦する
  • 著書は3冊出版していて、特に3冊目の『2軍監督の仕事 育てるためなら負けてもいい』は大ヒットとなった

 

今季の成績不振により小川監督が辞任する意向を明らかにした今、次期ヤクルトスワローズの監督は高津臣吾さんが最有力候補と言われています。

これまで実績を上げてきた高津臣吾さんが監督になった姿、ぜひ見てみたいですね!

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