今年も近づいてきた、全国高等学校野球選手権大会・通称甲子園!
毎年、近い未来のスターが生まれる、野球ファンのみならず日本国民の楽しみといっても過言ではないですよね。
そんな甲子園で今年とても注目されている、大阪府の履正社高校。
選手はもちろんですが、監督である岡田龍生さんについても、気になるところです。
今回はその岡田龍生監督自身のプロフィールや経歴、結婚してお子さんがいるのかなどのプライベートまで、じっくり調べていきます!
履正社の4番はこの人ですよね!
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目次
岡田龍生(履正社監督)のwikiプロフィール
⚾️学校取材|#履正社(大阪)
昨年の選抜大会では大阪桐蔭と大阪勢同士の決勝を戦うなど、大阪にとどまらず全国屈指の強豪校である履正社。
そんな強豪校を指揮し、多くのドラフト1位選手も育てた岡田龍生監督にお話を聞きました。https://t.co/SK5qHH3o0R#高校野球 pic.twitter.com/obZpN3gsQW
— タイムリーWEB (@timelyweb) 2018年12月3日
- 名前:岡田龍生(おかだたつお)
- 生年月日:1961年5月18日
- 年齢:57歳(2019年1月26日現在)
- 出身地:大阪府
現在監督をされている履正社高校も大阪府豊中市内の高校ですが、ご自身も大阪出身の方だったんですね。
ずっと同じ場所にいるというのは、なんだか地元への愛が感じられますよね。
岡田龍生(履正社監督)の出身高校や大学はどこ?
岡田龍生(履正社監督)の出身高校は関西の東洋大姫路高校です。
こちらも甲子園への出場歴が何度もある野球の名門校です。
大学は日本体育大学を卒業されています。
こちらは昨年いろいろありましたが、もともと数々のアスリートやオリンピック選手を輩出しているスポーツの名門校ですね。
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岡田龍生(履正社監督)の経歴
大阪で生まれ育った岡田龍生(履正社監督)。
現在、監督をされているくらいなのでご自身も野球が大好きな少年だったんだとか。
幼い頃から親御さんとキャッチボールをしたりしていました。
では、学生時代の部活ももちろん野球部なのでは・・・と思うところですが、岡田龍生(履正社監督)が中学生の時に入った部活は、意外にもバレーボール部。
バレー部に入った経緯は、当初野球部に入った岡田龍生(履正社監督)でしたが、練習が週に3日しかなかったために、バレー部顧問だった暮らす担任に入部を勧められ、掛け持ちしていたんです。
元々運動神経がよかった岡田龍生(履正社監督)さんはバレーボールにみるみるのめりこんでいき、最終的にはキャプテンにまでなったそうです。
とにかくスポーツが好きで、努力を惜しまない少年だったんですね。
そして高校進学を控え、バレーボールを続けようと思っていた岡田龍生(履正社監督)さんに立ちはだかった問題が、身長という自分ではどうしようもない壁でした。
自分の身長ではどう頑張っても高校バレーで活躍することが難しいという現状に、岡田龍生(履正社監督)さんは「もう一度野球を頑張ろう」と方向転換したのです。
できないことに落ち込むだけではなく、すぐに自分ができることに目を向けられるというのはとても素晴らしいことですよね。
じつは当初、前年のセンバツで準優勝していた東海大相模高校に、「とにかく甲子園に出られる可能性が高いと思ったから」という理由で進学を希望していたそうですが、当時の原貢監督が、息子の原辰徳(現読売ジャイアンツ監督)さんの進学とともに東海大学へ移ることが判明。
そこで、「高校野球は監督が変わったらあかん」と方針を転換し、当時7回甲子園に出場していた東海大姫路高校に一般入試で進学を決めたそうです。
高校に入学してバレーボールから野球へと競技は変わっても、努力を怠らなかった岡田龍生(履正社監督)は1年生でベンチ入りし、2年生の秋からキャプテンを務め、翌春には甲子園に1番サードとして出場しベスト4に上り詰めるなどの素晴らしい結果を残しました。
高校卒業後に日本体育大学で野球を続け、4年生でキャプテンを務めています。
大学では教員免許を取得し、鷺宮製作所において社会人野球でプレーをした後に高校で指導者として野球に関わることになり、現在まで多くの高校球児の指導をしています。
岡田龍生(履正社監督)は結婚して嫁(妻)や息子がいる?
有名野球部監督とはいえ一般の方なので、調べてみましたが家族に関する情報はありませんでした。
でも高校生の指導をするということは野球はもちろん、子供も好きなのでは?と思うので、お子さんがいる可能性は結構高いんじゃないかと思います。
息子さんがいたら、熱心に野球を教えていたのではないでしょうか。
また、岡田龍生(履正社監督)自身のお母さんは女性ながら野球の選手だったそうですよ。
しかも1950年から2年間、女子プロ野球の選手だったそうです。
東京ドーム内にある野球殿堂博物館には当時の写真があり、お母さんの移っている写真が残されているとのことです!
家族ぐるみで野球が大好きなんですね!
岡田龍生(履正社監督)の指導方法とは?
今でこそ野球の名門ともいえる履正社高校野球部ですが、岡田龍生(履正社監督)が監督になった頃はかなり荒れていたようです。
なんと監督は不在の上にまともな練習は週に2回、数少ない部員の3人も他の部活と兼任している・・・
とても甲子園に出場なんて考えられないほどでした。
それを岡田龍生(履正社監督)が東洋大姫路時代に学んだ「徹底することの強さ」を実践し、8年の期間を経て、1997年にはバントと走塁を駆使したスモールベースボールで夏の甲子園に出場する強豪校にしたというのですから、その練習・指導方法はとっても気になりますよね・・・!
監督就任当初は昔ながらのスパルタ方式の指導でしたが、2002年に行き過ぎた指導とされ、謹慎処分を受けています。
そこで、「これは違う方法を考えなあかん」と考え直したそうです。
まず岡田龍生(履正社監督)は自身が選手だった時の経験から、「自分自身で考えて、必要な練習をする」という指導方針への変換を決断しました。
これは自身が選手時代「やらされる練習」をしてきたことで苦労してきた経験があったからだそうです。
たしかに、「これをやりなさい」といわれたことを意味もわからずひたすらするのと、自身で今やっている練習が何のためになるのか、自分の強みをもっとよくするにはどうするべきかなど、意味を理解しているのではどちらがいいかなんて一目瞭然ですよね。
自身が選手だった時の気持ちを忘れずに生かすというのは、ステキですね。
野球に限らず、見習いたい姿勢です。
岡田龍生(履正社監督)率いる履正社高校の成績は?
2019年の夏の甲子園の大阪予選では、昨年の夏の甲子園優勝校の大阪桐蔭が準々決勝で敗れるなど波乱がありましたが、大阪桐蔭と並んで大阪2強と呼ばれる履正社高校が優勝し、甲子園でも優勝候補の一角と評価されています。
1回戦 シード
2回戦 23-3池田
3回戦 8-0箕面学園
4回戦 2-1大阪電通大高
5回戦 7-0岸和田
準々決勝 2-0桜宮
準決勝 7-2近大付
決勝 7-2金光大阪(準々決勝で大阪桐蔭を破った)
甲子園ではどのような試合を見せてくれるのか楽しみですね。
岡田龍生(履正社監督)の評判
岡田監督の胴上げと帽子飛ばすのが動画で上がってた↓
履正社(大阪)第91回センバツ決定 岡田龍生監督「とにかく優勝」過去春2度準優勝【日刊スポーツ】 https://t.co/2fYqIfDeya
— タカラ@叶うべき夢の先へ (@cctakara25) 2019年1月25日
胴上げって、信頼関係がきちんとできてないとできないと思うんですよね!
選手たちの絆が伝わってきます。
履正社からも御二人が日体大に行かれるのか。
岡田龍生投手が日体大へ行かれるようですけど、履正社の監督さんの岡田龍生監督も日体大のご出身でしたね!— 古代の浪漫 (@kDp6sbxkBFFDEcy) 2018年12月20日
前述のように、当初は謹慎処分が下されるほどのスパルタ指導だったそうですが、それがきっかけで変わった指導法で選手たちとの信頼関係を深めることができたのでしょうね!
同じ名前の選手(岡田龍生投手)がいることも注目されていましたが、監督と同じ日体大に進学されたそうです。
なんという偶然!!
履正社の4番はこの人ですよね!
まとめ
それでは最後に、今回調査した「岡田龍生(履正社監督)の経歴や出身高校・大学!息子や結婚した嫁(妻)はいる?」についてまとめて終わります。
- 岡田龍生(履正社監督)は、大阪府履正社高校野球部の監督で、自身も大阪府出身。
- 岡田龍生(履正社監督)は中学まではバレーボールに打ち込み、本格的に野球を始めたのは高校からだが、すぐに頭角を現し甲子園に出場するなど大活躍した。
- 岡田龍生(履正社監督)は東洋大姫路高校、日本体育大学出身。
- 岡田龍生(履正社監督)は結婚や子供の有無については非公表で、実の母親は野球選手だった。
- 岡田龍生(履正社監督)は「自分で考えて必要な練習をする」という指導方針で荒れていた野球部を建て直し、甲子園出場へ導いた。
選手としても監督としても素晴らしい岡田龍生(履正社監督さん。
きっとたくさんの野球界のスターを生み出してくれるのでしょう!
これからの活躍がとっても楽しみですね。
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