朝ドラ『エール』主人公のモデル古関裕而の経歴や家族(妻、息子)が気になる!

こんにちは、へぼんです!

2020年3月30日から窪田正孝さんと二階堂ふみさんが出演する朝ドラ『エール』のモデル、古関裕而さんをご存知ですか?

早稲田や慶応といった有名大学の応援歌を手がけた超有名作曲家である古関裕而さんの経歴から妻、息子、記念館の場所まで詳しくご紹介してまいります!

ということで今回は、朝ドラ『エール』主人公のモデル古関裕而の経歴や家族(妻、息子)が気になる!と題して徹底調査してまいります!

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古関裕而のプロフィール

本名:古關 勇治(こせき ゆうじ)
生年月日:1909年8月11日
没年月日:1989年8月18日(享年80歳)
出生地:福島県福島市
学歴:福島県師範学校附属小学校→旧制福島商業学校(現・福島商業高等学校)
死亡地:神奈川県川崎市宮前区菅生(聖マリアンナ医科大学病院)
職業:作曲家
ジャンル:応援歌、軍歌、歌謡曲
活動期間:1931年-1989年
引用:wikipedia

長男の古関正裕さんは古関裕而さんを「優しくて穏やかな人」だったと話しています。

しかし、「声や物音は平気だが、調子外れの楽器の音には我慢できなかった」そうで、唯一叱られたことが小学生の時にコップに水を入れて音階を作って叩いて遊んでいたことらしいです笑。

天才作曲家らしいエピソードですね!

また、今回朝ドラになることについて古関裕而さんは照れ屋だから遠慮がちに笑うのではないかと推測しています。

素晴らしい才能を持っているにもかかわらず謙虚で可愛らしい方ですね!

古関祐而の経歴


呉服店に生まれた古関裕而さんは幼い頃から家にあったレコードに興味を示し、音楽に親しみながら育ちます。

学生時代は音楽にのめり込み、なんと10歳で楽譜が読めるようになっていたそうです!

また、常にハーモニカを携帯し、作曲に夢中になります。

そして、高校卒業する頃に福島ハーモニカーソサエティーというハーモニカバンドにて作曲・編曲・指揮を担当し、レコードコンサートに出演します。

卒業後は川俣銀行に勤務しつつ、ハーモニカバンドで活躍します。

ある時、仙台中央放送局の記念番組にハーモニカバンドとともに参加し、仙台に在住していた金須嘉之進さんを私事するようになります。

1929年にイギリスロンドン市の作曲コンクールに応募し、管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』で入選を果たします!

日本人初の国際的作曲コンクールの入賞で、当時大々的に報道されました。

この報道を知った内山金子さんは古関裕而さんに熱烈なファンレターを送り、1930年に古関裕而さん20歳、内山金子さん18歳という若さでスピード結婚をします!

晩年までおしどり夫婦で夫婦仲はとても良かったそうです!

1930年に山田耕筰さんの推薦で日本コロムビア株式会社から作曲家デビューを果たし、夫婦で上京します。

1935年に「船頭可愛や」が大ヒットし、人気作曲家の仲間入りを果たします!

戦中、戦後は暗く不安な日本を音楽によって明るくするため軍歌や鎮魂歌の作曲活動に力を注ぎます。

その数なんと100を超えるそうです!日本全体に向けた鎮魂歌の「長崎の鐘」や1964年の東京オリンピックの開会式に使用された「オリンピックマーチ」が有名です!

その後もたくさんの有名私立大学の応援歌を手がけ、1989年8月18日に聖マリアンナ医科大学病院にて80年の生涯に幕を閉じます。

死後は古関裕而さんが応援歌を作曲した大学が盛大な音楽葬を行い、たくさんの方に惜しまれました。

古関裕而の家族(妻、息子)は誰?

古関裕而さんの妻、内山金子さんは愛知県豊橋市出身で幼い頃から音楽と文学に興味があり、オペラ歌手を目指していたそうです!

古関裕而さんとの文通を通じた遠距離恋愛後、福島にて結婚、古関裕而さんのデビューとともに上京を果たします。

住まいを世田谷区代田に構え、近くにあった帝国音楽学校の声楽部本科に編入し、本格的に声楽を勉強し始めます。

様々な舞台を踏みますが、子育てを理由に学校を中退しています。

1958年に「婦人文芸」に参加し、詩人として詩や随筆を寄稿しました。

1980年に乳がんが全身転移して68歳で亡くなっています。

愛妻家だった古関裕而さんにとっては辛い出来事だったでしょうね。。。

そんな奥さんの内山金子さんとの間に2人の娘と1人の息子に恵まれました。

長男の古関正裕さんは74歳(2020年現在)という年齢にもかかわらず、古関裕而さんの楽曲を演奏するコンサートを開催しています!


しかし、元々は父の楽曲を演奏しておらず、学生カントリーバンドやグループサウンズ「ヴィレッジ・シンガーズ」でキーボードを弾いていました。

大学卒業後は日本経済新聞社に入社し音楽からは離れた生活を送っていました。

会社を早期退職したのちは青山で婦人服のセレクトショップを経営しながら2008年に小説「緋色のラプソディー」を出版します。

親父バンドを組んで音楽活動も再開させます!

その時、父である古関裕而さんの楽曲が日本レコード大賞で企画賞を受賞する姿を見て父の曲を演奏したいと思うようになったそうです。

2013年に鈴木聖子さんと齊藤早苗さん(2016年脱退)とともに「喜多三」というユニットを結成し、現在はホールを中心に年に3,4回ほどコンサートを開いているようです!

気になる方はぜひ、喜多三で検索してみてくださいね!

ちなみに、「喜多三」という名前は古関裕而さんの実家の呉服店と同じ名前だそうです!

古関裕而さんの偉大な才能は息子さんによって現在も引き継がれています。

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古関裕而の記念館はどこ?


古関裕而さんは1989年11月に福島県出身初の名誉市民として記念館が建てられています。

古関裕而さん自身はすでに入院生活を余儀なくされていたので残念ながら足を運ぶことはできなかったそうです。

住所と交通アクセスは以下の通りです。

アクセス
住所:〒960-8117  福島県福島市入江町1-1
交通アクセス:(1)福島駅東口からバスで10分(保原・桑折・伊達行き)
日赤前から徒歩で3分 、(2)福島西ICから車で15分

記念館では古関裕而さんが愛用したハモンドオルガンやオリンピックマーチの総譜、愛用したハーモニカなどが展示されているそうです!

記念館のHPはこちらです!

http://www.kosekiyuji-kinenkan.jp

朝ドラの前に予習したいという方はぜひ足を運んで見てください!

まとめ

ということで今回は、朝ドラ『エール』主人公のモデル古関裕而の経歴や家族(妻、子供)が気になる!と題して徹底調査してまいりました。

  • 古関裕而は日本の作曲家で、1964年開催の東京オリンピックにて「オリンピックマーチ」を作曲したり、戦時中にたくさんの軍歌を作り、大衆の心を掴んだ。
  • 妻は内山金子で文通を通じて恋愛に発展し、晩年までおしどり夫婦だった。
  • 長男は古関正裕で現在は古関裕而の楽曲をコンサートで披露している。
  • 古関裕而の記念館は福島県福島市にあり、貴重な展示品が飾られている。

という結果になりました!

朝ドラ『エール』の放送開始まで待ちきれませんね!

古関裕而さんと妻の内山金子さんの反省がどう描かれるのか見ものです

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